2004年(平成16年)1月1日号

No.238

銀座一丁目新聞

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競馬徒然草(1)

―ハルウララの夢― 

  ハルウララ。言葉の響きがいい。口ずさむと、歌人の短歌が思い出されてくるようだ。「麗(うらら)」はもともと文語で、口語では「麗か(うららか)」。「晴れ晴れと明るいさま」「心にわだかまりのないさま」などと、大辞林にある。こんなことから書き出したのも、昨年の年末に話題になった馬のことが、年を越えても記憶に刻まれていて、ひょいと甦ったからだ。
「ハルウララという馬がいるんですね」。競馬ファンでない人も、楽しげに話題にしていた。「テレビで見たけど、感動しちゃった」。そんな中年の女性もいた。テレビで放送されたために、知名度は一躍、全国区になった。地方競馬の馬で、それも高知競馬場所属。中央では無名の存在だった。しかも、一度も勝ったことがない、連戦連敗の馬。普通なら、話題になる要素はどこにもなく、宣伝マンもキャンペーンの張りようがないといったところだ。そんな馬が話題を呼んだところが面白い。
勝てない馬のケースを考えてみる。これが中央競馬の馬だったら、恐らくとっくの昔に姿を消しているだろう。「強い馬づくり」を方針に打ち出しており、番組編成の上でも、未勝利馬のレースを減らしていき、遂に廃止してしまった。中央で走れなくなった馬は、地方へ移るしかない。昔からそういう馬はいて、その後の情報が「風の便り」に伝えられたものだ。だが、いつしか消息不明になる馬のほうが多かった。引き取り手のない馬の余生を、ボランティアで面倒みる人もいた。農家に引き取られ、庭先で余生を送っていた馬のことが、小さな新聞記事になったこともある。
さて、ハルウララの話題に戻す。生まれは、北海道三石の信田牧場。1996年2月27日生まれ。父ニッポーテイオー、母ヒロイン。過去の成績は、100戦して未勝利。2着4回、3着6回、4着11回、5着13回、着外66回、これまでの収得賞金は、106万5000円(2003年12月14日現在)。
話題を集めたのは、99連敗した後のレース。つまり昨年の12月14日のレース。初勝利を挙げるか、それとも100連敗を喫するかが、注目を呼んだ。普段の入場者は1000人ちょっとだが、この日は5倍以上に及び、5000人を超える盛況だった。「ハルウララ100
戦記念特別」(1300、ダート)という特別レースが組まれたのだ。自らの名前を冠したレースだったが、肝心の主役のはずのハルウララは、あえなく10頭立ての9着、つまりブービーに終わった。「声援むなしく」というべきか、「声援に応えて」というべきか、遂に歴史に残る100連敗を喫した(成し遂げた?)のだ。
 ハルウララ(牝・7歳)は、デビュー以来5年間、一度も勝ったことがない。こんな記録は不名誉限りないに違いないが、負け続けても懸命に走る姿に、人々は「健気さ」を感じるようだ。体の小さな410キロそこそこの牝馬だから、なおさらだ。加えて、名前がいい。よくぞ付けた。年明けの出走は1月2日。今年の初便りは、どんなものだろうか。

( 新倉 弘久)

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