2004年(平成16年)1月1日号

No.238

銀座一丁目新聞

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お耳を拝借(92)

「10年日記」

芹澤 かずこ

 

  一冊で10年間の日記がつけられるという『10年日記』を見つけて1991年1月1日からつけ始め、今では2冊目になっている。この日記が三日坊主にならず、もう13年も滞ることなく継続しているのは、ちょっと物足りないかなと思うくらい行数が少ないことにある。 
 B5版の日記帳のページを見開くと、左半分が1991年から2000年の1月1日、右半分が1月2日で10年分の10段に区切られている。初年度はページを繰りながら一番上の段から書き始める。2年度は2段目、3年度は3段目という風に。
ということは、翌年以降にそれまでに書いたものが見られるということ。記憶というのは、けっこう曖昧なもので「あれは2年くらい前だったかしら」なんて思っていても、実際は3年も4年も前だったりするのが、上段を見ることによって判る。各ページの最下段に年数の入った見出しがついているので、そこにちょっとしたメモを書いておくと日記の文面を探さなくても済むので重宝している。
 例えば1991年1月1日の見出しには、「市内局番4ケタ」となっている。1月1日の日記の文面を見てみると、「午前2時、東京23区の3ケタの市内局番のアタマに3がつくことになり、2台の電話機を使って娘が試してみた」と書いてあり、1993年1月6日の見出しには「皇太子妃内定」となっていて、「朝は貴乃花と宮沢りえの婚約破棄のニュースで持ち切りだったが、夜は皇太子妃内定のニュースで特別番組が組まれた。かねてから噂のあった外務省勤務の大和田雅子さん。正式決定は12月中だったとか、美智子皇后の強い希望と説得があったらしい。18歳から始まったお妃選びにようやく終止符が打たれた」と書いている。
 一日分が5行なので書き足りないこともあるが、そんな時の用意に日記帳の最後の方に50ページほどの「補足」のページがあって、年月日を入れて書き込めるようになっている。この日記に巡り合うまでは、長いことつけていた家計簿のメモ欄に、日々こまごまとしたことを書き留めていたので、その延長のようで書きやすかったのが継続の秘訣のような気がする。
 2001年から2010年までの2冊目になった時、2001年の年頭の所感に「取りも直さず、この10年日記を最後まで続けるのが、第一の目標」と書いている。一冊目の時はまだ50代だったせいか、そんな思いは全くなかったのが対照的と言えようか。



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