2003年(平成15年)11月20日号

No.234

銀座一丁目新聞

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花ある風景(148)

並木 徹

「野の花に癒されて」

  阿見みどりさんの万葉野の花水彩画集出版記念展を東京・中央区銀座一丁目「ギャラリーミハラ」で見た(11月10日から16日・12月4日〜9日鎌倉「ギャラリーやまご」)。阿見さんの万葉の歌にそえた野の花の水彩画に感心していたので雨の日にかかわらず画廊に足を運んだ。先客は女性であった。そのやさしい、こまやかなタッチの筆使いの絵を見ると心が和む。フアンは女性が多いであろうと想像される。展示された50点の画それぞれに、万葉の昔、野の花を愛でた貴人、女性群像が現れては消え、消えては現れる。私の手元にあるカレンダー11月、12月には阿見さんのすすき(尾花)が描かれている。風に吹かれながら凛としている風情である。歌は「人皆は萩を秋と云ふ縦(よ)しわれは尾花が末(うれ)を秋とは言はむ」(よみびとしらず 巻10−2110) 阿見さんの意訳によれば「人々はみな萩の花が秋ではいちばんというが、どうしてどうして、自分はすすきの穂先がかぜになびく風情こそを『秋だ』と思うのです」 カレンダーをみた人々を思わず万葉の世に引きずり込むであろう。
 来年の1月、2月のカレンダーには椿の花とともに私の好きな大伴家持の歌がある。「あしひきの八峰(やつを)の椿つらつらに見とも飽かめや植えてける君」(巻20−4481)阿見さんの意訳「つくづく見ても見飽きることがありましょうか。この椿をお植えになったあなたのことを」
 この歌は『3月4日、兵部大丞大原真人今城の宅に宴せる歌一首』と記されており、「兵部少輔大伴家持、植えたる椿に属(つ)けて作れり」と添え書きがある(新訓 万葉集 下巻 佐々木信綱編)。大原今城は中臣清麻麿とともに家持が心許して付き合った廷臣である。家持の兵部少輔という役職は防人の動員の仕事をしていた事もあって、家持は「巻20」に防人の歌をのせている。彼自身も防人を詠んでいる。「丈夫(ますらを)の靫(ゆき・矢を入れて背に負う具)取リ負ひて出でて往けば別を悲しみ嘆きけむ妻」(巻20−4332)
 家持は8世紀の貴族政治家でもあった。父は大納言旅人、弟は書持(ふみもち)、父の妹に坂上郎女がいる。書持には「あしひきの山のもみち葉今夜(こよい)もか浮び去(ゆ)くらむ山川の瀬に」(巻8―1587)の秀歌がある。豊な恋愛遍歴を持つ坂上郎女にも「千鳥鳴く佐保の河瀬のさざれ波止む時も無し我が恋ふらくは(吾恋者)」(巻4−526)の歌がある。阿見さんも坂上郎女が好きだと見えて2004年5月、6月のカレンダーに姫ゆりに添えて彼女の歌をのせている。「夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものそ」(巻8−1500)。「知らえぬ恋」とは片思いである。若いとき男でも女でも経験があろう。阿見さんは野の花に焦点をあわせて、貴族や庶民達が作った恋のうれしさ苦しさ、別離の悲しみ、自然の美しさを歌った歌を紹介する。その画に誘われて万葉の世界に遊ぶのはなんとも楽しい。
 なお企画は銀の鈴社(電話03−5524−5606)で、画廊では阿見さんの画入りの便箋、ノート、日記、ハンカーチーフ、カレンダーなどのグッズも販売されていた。

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