2003年(平成15年)11月10日号

No.233

銀座一丁目新聞

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追悼録(148)

 秋天に読経きゆる墓前祭  悠々

  大連二中の友人、長谷川栄三君の三回忌に参列した(11月2日、飯能市・入間メモリアルパーク)。9月半ば飯能市に住む夫人の和子さんから「やっとみなさまと御話ができるような気持ちになってまいりました」と二中の同級生の金山好甫君とともに三回忌の誘いを受けた。近親者だけのささやかな法要であった。
 長谷川君の墓は広大な墓地の一隅にある。墓石には『心』と刻まれていた。それを見た瞬間、二中の校歌の一節を思い浮かべた。「みどりに澄める天つ空の/広きを己が心として」。栄三君の二人の兄はいずれも大連二中出身である。長男健治さん(故人)は6回生、この日出席された次男勝英さんは9回生である 。墓碑銘の「心」は長谷川君に相応しい。二中健児は常に天のような広い気持ちを忘れずに戦後を生き抜いてきた。栄三君は二中から満州医大薬学専門部に進み、在学中軍医になるため関東軍特別教育隊に入隊、敗戦を迎えた。教育隊からの脱走、引き揚げまでの大連生活、日本でのヤミ商売、その苦労は筆舌に尽くし難い。戦後は厚生省で気骨ある役人として過ごした。
 なおらいは入間川をのぞむところで精進料理をいただいた。栄三君の思い出話に花が咲いた。和子さんの「目がきつくてときおりチンピラに絡まれた事がありました」という話に、4人のチンピラを得意の空手で急所を蹴り上げて倒した武勇伝を思い出した。その武勇伝を聞いた際、襲われた時の防御の空手を教えてもらった。今でも時々その空手を練習している。
 お墓に行く前、自宅に寄ったが、栄三君が使っていた部屋はそのままで「この家にいまでも二人で住んでいるのですよ」夫人が言った。「二人で・・・」の表現が心にしみた。伊豆長岡の病院から退院した日(平成13年11月8日、死んだのはそれから一週間後である)近くで夫妻が一緒に写った写真が飾られてあった。和子さんがVサインのポーズをしている。記念すべき遺影である。栄三君は良い伴侶に恵まれて幸せだったとつくづく思う。

(柳 路夫)

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