2003年(平成15年)11月1日号

No.232

銀座一丁目新聞

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茶説

無責任がまかり通り過ぎる

牧念人 悠々

 名古屋で4歳の男児が虐待されて死んだ。もちろん虐待して殺した18歳の高校生は捕まった。少年をかばったとして母親(28)も逮捕された。ここで問題にしたいのは、4歳の男児が通っていた保育園の保母さんが、虐待に気がついて1ヶ月も前に児童相談所に通報したのにかかわらず、児童相談所で何の処置もしなかったという点である。7月16日から9月前半まで4回も顔や腰、足などにあざがあったという。何故母親を呼んで事情を聞かなかったのか、母親の自宅付近まで足を伸ばし様子を見に行かなかったのか、疑問に思う。テレビでは児童相談所の責任者は「それほど重大だと思わなかった」といっていた。
 要は仕事に対する熱意の問題であり、虐待が死につながる重大性を見逃した怠慢にある。「すべての国民は児童が心身ともに健やかに生まれ、かつ育成されるよう務めなければならない」という児童福祉法を持ち出すまでもないであろう。この法律にもとづいて児童相談所は設置されている。お茶を飲んだり、雑談したりするのが仕事ではない。体を動かせ。現場へ行け。今ほど児童が虐待されている時代はない。全国で事件が起きている。相談所の仕事のための教訓はいくらでもある。傷が小さいときに手当てすれば大事に至らない。無責任すぎる。思いやりがなさすぎる。
 万葉詩人、山上憶良は歌った。「銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむにまされる宝子に如(し)かめやも」昔も今も子を思う親の情はそう変るまい。男友達に狂った母親にしても子供を大事にしない男はもともと愛情のない人間である。いずれ破局が来る。
 このような不幸な子供のために児童相談所が存在する。虐待の事実を知って何もしない不作為は人間として一番恥ずべきである。相談所がたとえ動いたとしても悲劇は防げなかったかもしれないが、所員たちが努力したという実績は残り、それが再発を防ぐに役立つ。目の見えないところでコツコツ努力する人間が職場から減ってきた。仕事に体ごとぶつかってゆく者が少なくなった。日常起きるさまざまな事件は私たちに多くのことを教えてくれる。

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