2003年(平成15年)9月20日号

No.228

銀座一丁目新聞

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茶説

喉が渇いても盗泉の水を飲まず

牧念人 悠々

 オックスフッド大学の図書館から1992年から95年にかけて古書74点が盗まれた。これまでに同大学は英、米、独などから73点を取り戻したが、あと1点の返還をめぐり、この本を購入した日本の医学系私立大ともめているという(9月15日毎日新聞)。問題の本は近代解剖学の祖といわれるアンドレアス・ヴェサリウス著「人体の構造について」の携帯版(二冊組・1552年)。米国の古書店が7000ポンド(130万円)でせり落とし、95年春、東京の古書店を介して私大に売却された。
 私大の学長は「正当に購入し、法的に問題はない」という。その通りである。日本の法律では盗品である事を知らず、過失もなく購入した本は買主に所有権がある。元の所有権者が返還請求できるのは盗難にあった時点から二年間に限られている。
だが、ちょっと待って欲しい。法律は道徳の最低限を示すものである。さらに大学は真理を追究し、学問を通して崇高なる人間性を高める場でもあるはずである。法的に問題がないにしても本が盗品である事は変りがない。喉から手が出るほどほしい物ではあろうが、「渇しても盗泉の水を飲まず」という。武士道で言う「義」を貫いてはどうか。新渡戸稲造著「武士道」(矢内原忠雄訳・岩波文庫)には真木和泉(幕末の志士)の次のような言葉が紹介されている。「節義は例えていえば人の体の骨にあるが如し。骨なければ首も正しく上にあることを得ず、手を動くを得ず、足もたつことを得ず。されば人は才能有りとても、学問ありとても節義なければ世の立つ事を得ず。節義あれば不骨不調法にても士たるだけのこと欠かぬなり」学長よ、いかなる感想をもたれるか。
 学長がそれを率先して実行すれば立派な教育となる。たとえ損しても返って来る教育効果ははかりしれない。返還交渉そのものが生きた教育である。私が学長なら即座に無償で本を「知らなかった事とはいえご迷惑をおかけした」と返却する。今の日本の大学の学長にそれを求めるのは無理であろうか。

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