2003年(平成15年)7月10日号

No.221

銀座一丁目新聞

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静かなる日々
─ わが老々介護日誌─

(7)
星 瑠璃子

 6月4日
 「リハビリテーション実施計画書」によると、母に定められた目標は「車椅子への移乗動作の獲得」だ。「終了の目安3か月」とある。それはいいとして、心身の状態のところにある「見当識」という言葉が気になった。あとで調べると、それは「痴呆」と同義らしい。
 近年この「痴呆」なる言葉を見たり聞いたりすることが非常に多い。けれどもそこには「作られた痴呆」もあるのでは、と私は怪しむ。一種の差別だ。こんな言葉をむやみに使わなかった時代には、もっとやわらかな老人の現実があったような気がするのだ。
 わが家系は、女は男に比べてずいぶんと長寿だった。政治家であった父方の祖父は国会から帰った玄関先で倒れて50代で、洋画家だった母方の祖父も66歳で急逝したのに対して、祖母はといえば、父方も母方もそれぞれ80歳と82歳で、老衰のため何日か眠り続けたあげくに安らかに亡くなっている。
 「ご用の時は鳴らしてくださいね」と、母が枕元に置いた鈴がその朝はいつまでも鳴らず、小学生の私が見に行くと、眠るように亡くなっていたのは父方の祖母だった。「おばあちゃまが死んでいる!」と、廊下を駆け戻って母に知らせた。戦後の食糧難の時代、お芋のなかにお米の粒がちらほらとまじったようなご飯を端然と食卓に向かって食べていた父方の祖母は、いま考えれば「痴呆」といわれてもおかしくない程度には充分に呆けていたが、だれもそんなことは言わず、祖母自身も「私は美食を好みませんから」といつも言っては、言外に母へのいたわりとしていた。いっぽう、たいしたご馳走がなくとも「山海の珍味ですねえ」といかにも楽しそうに食べていたのは母方の祖母。うっすらとボケて、とうに亡くなった大好きだった父親との幻の会話を楽しみながら、安らかに没した。それは日なたから日かげへ寝返りを打つような、とても自然な死だったような気がする。

 6月5日
 午後、母はずいぶん怒ってしまったらしい。
 リハビリが終わった後、車椅子のままナースステーションに1時間も座らせられたのが原因だ。それは身体を起こしたままの姿勢でいられるための訓練だったのだが、耳が遠いせいもあって理由がつかみきれぬ母には我慢の限界だった。くたびれて早く横になりたい母は「ベッドへ戻して」と再三頼んだが、当然のことながら聞き入れられず、とうとう切れてしまった。意地悪ないしは侮辱ととったらしかった。何回かは説明されたのだろうが、しまいには「どうせ分からぬ」痴呆老人扱いにされたのかもしれなかった。「ひどい目にあったの」と悔し涙をいっぱいにためて訴えた。かわいそうなお母さま。
 食欲はあったりなかったり。気分の波も大きい。ようやくお小水の管は外したが、尿の出が悪く、その都度管で吸引しなければならない。仰臥していたひと月の間に排泄のメカニズムが失われてしまっている。

 6月7日
 リハビリ4日目。
 若い人と違って老人の場合のリハビリテーションは、もう駄目かと諦めかけた時にようやくすっと上に行く。いわば階段状に進んで行くと聞いていたので、ゆっくりではあっても日一日と斜面を登って行くような母の進歩が嬉しい。
 氷水を入れた魔法瓶を抱えて私は母の側につきっきり。うまくいったといっては手を叩き、疲れたと派手にネを上げるたびに間髪を入れずに冷たいお水で慰労し、なだめたりすかしたりの奮闘ぶりだ。こんなに賑やかにリハビリをしている人はほかにはいない。だいたい家の人がついてるなんてことがないのだ。どの人もPT(physical therapist)と一対一で 黙々と励んでいる。平均年齢75歳くらいとのことで、94歳の母はここでは最年長。おおかたが歩く練習だが、なかには十字架上のキリストよろしく左右の腕を広げて固定され、頭を垂れて高々と吊り上げられている中年の男性もいた。交通事故だろうか。PT は5人、それに助手が7、8人。ここは明るく大きな2階の整形外科のリハビリ室だが、階下にも回復期リハビリ病棟があるとのこと。
 訓練が終わると、ロビーでたっぷり一時間お茶の時間をとる。この時間を少しづつ増やし、「起きている時間」に慣らしていきたいというのが私の狙いである。
 個室から変えてもらった4人部屋に、いまのところ母はうまく順応しているようだ。狭いしムードもなにもないけれど、同病相哀れむで、どこかしら痛い人や苦しい人が自分の他にもいて、それぞれに頑張っているという感じが自然に伝わってくるのは悪いことではないのだろう。特別に話をしたりするわけではないが、いつも人が出入りし、多少なりとも孤独が紛らわせるのではなかろうか。
 最近読んだ吉本隆明と三好春樹というPTの対談集『<老い>の現在進行形』でもそのことが語られいて、興味深かった。伊豆の海で溺れて九死に一生を得てから、すっかり「老人」になってしまったという哲学者の述懐はこんなふうだ。
 「吉本 じぶんが老人だと思えるようになって、2、3年前から考えてみると、やっぱり老人というものは淋しいものです。本格的にはだれも相手にしてくれないから、だれからも疎遠になって淋しいものですね」
 「三好 老人ホームを全部個室にしろという意見が強いが、それは老人のニーズじゃなくて、じぶんたちの理念でつくっているという気がしてならないんです。大部屋ではプライバシーが守れないんじゃないかと言われますが、4人部屋で必要なときに障子とか襖で区切れて、隣の気配が分かるくらいがいちばんいいような気がしてならないんです」
 この本は対話が うまくかみ合っていないところが、とても面白い。

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