2003年(平成15年)7月10日号

No.221

銀座一丁目新聞

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花ある風景(135)

並木 徹

正しい歴史書を読まねばならない

  南北戦争といえば、リンカーンのゲチスバーグの演説を思い出す。1863年11月19日、戦い終って約4ヶ月後、戦没者追悼の為、リンカーンはこの町にきた。その年の7月1日から3日間にわたり行われた戦いは南北戦争の天王山で、最大の激闘であった。勝利した北軍の将軍ウィリアム・シャーマン将軍は「私は戦争に飽き飽きした。戦争の栄光などウソっぱちだ。鉄砲を撃ったこともなく、負傷兵の悲鳴とうめき声を聞いたこともない者だけが、一層の血と報復を呼号するのだ。戦争は地獄だ」の言葉を残している。戦争の実相は140年前と現在とそう大きく変っていない。犠牲者は20万人を数える。
 リンカーンの演説の草稿はその途中の列車の中で書かれた。「これら名誉ある戦死者の最大限の献身から、我々は、自由の大義に対する一層の信仰を学び取り、これら死者の死をいたずらにしないように、固く決意し、この国を神の加護のもとに、新しい自由の国として出発せしめ、人民の、人民による、人民のための政府を地球上から滅ぼさぬよう奮励努力しなければならない」
南北戦争は奴隷解放の契機になった。1619年、オランダ人が20人の奴隷を輸入してから250年の間に奴隷は350万人に増えた。アメリカの奴隷がすべて解放されたのは1865年憲法の追加改正があって立法措置がとられてからである。
 南北戦争について意外な見方をする学者がいる。ロバート・ベン・ウォーレンはその著「南北戦争の遺産」(訳、留守晴夫)で指摘する。「南北戦争が戦われた1861年と1865年との間に、アメリカは巨大な軍隊を動員し、装備し、配備する方法を習得すると同時に、それを実行する意志と確信とを身に付けた。更に、これが最も肝心な点だが、軍事力や経済力への新たな確信に裏付けられて、アメリカは旧来にまして強烈な使命感を備えた国家として出現するに至った。南北戦争は第一次大戦と第二次大戦のための秘密の学校であった。ドイツの皇帝も総統もアメリカについての正しい歴史の本を読んでいなかった」
 歴史は大切であるとつくづく思う。しかもそれは正しく伝えららねばならないことも痛感する。

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