2003年(平成15年)7月1日号

No.220

銀座一丁目新聞

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茶説

罪なき者まず石をなげうて

牧念人 悠々

 人間は弱い。悲しいほどである。共産党のナンバー3のセクハラ問題でその感を強くする。聖書には「すべて色情を抱きて女を見る者は,すでに心のうち姦淫したるなり」とある。筆者などしばしば「姦淫」している。町歩く女性がすべて美しく見えるときがある。「いい年して・・・」と己を叱りつける。だから「ナンバー3」には同情する。「これ以上の追及は不要―との意見もあるがどうも釈然としない。考えれば考えるほど疑問がふくらむ」と、書く新聞には「武士の情をかけろ」といってやりたくなる。酒の席上でのより詳しいセクハラの実体を知ってどうなるというのか。社説を書く論説委員はそんなに「聖人君子」なのか。「汝らのうち罪なき者まず石をなげうて」と言いたい。
セクハラとは何か、その定義は難しい。少なくとも性別による差別的発言や蔑視的発言はよくない。理由もなく女性の体に触るのもよくない。日常の職場でよく出てくる言葉でも相手を傷つける事がある。セクハラは日常的に行われているといっていい。相手がそれをセクハラと感ぜず,問題にもしないからそのままですんでいるだけの話である。
セクハラを「女性の尊厳,人権を傷つける行為」というが、現実の日本は「男社会」で,女性の尊厳と人権を傷つけている行為があちこちでしばしば見られる。企業で女性を男と同等に扱っているとはいい難い。能力,実力がありながら採用,昇進,仕事の内容など歴然たる差別が存在する。この現実はセクハラ的な言葉,接触よりひどい。「心のうち姦淫している」筆者は毎日新聞でもスポニチでも女性の部長職第一号を誕生させた。「女性を一人前にあつかわない企業の前途は危ない」と信じているからである。
恐らくセクハラはなくならないであろう。人間が動物だからである。魅力ある女性にモーションを起こすのは動物の習いである。痴漢を働く職業はさまざまであるのを見ればわかる。裁判官,校長先生、新聞記者,役人などどうしてこんな人がと思う人が捕まっている。筆者などがそれをかろうじて押しとどめているのは「理性」である。その理性を具体的に説明すれば,相手も一生懸命に生きている人間であり,尊敬できるものを持っており、愛情をもって接しなければいけないと自分に言い聞かせる働きをすのが私の理性なのである。だから「女性が好きである」と公言して自分の心を抑えているのである。ともかく人間は弱い。

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