2003年(平成15年)6月20日号

No.219

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
静かなる日々
お耳を拝借
GINZA点描
銀座俳句道場
告知板
バックナンバー

 

追悼録(134)

 大連二中の恩師で、先輩でもある牧原一郎さんがなくなった(6月11日)。
 2年前の2月、同級生4人と清瀬市の自宅に伺い、酒を酌み交わしたのが最後となってしまった。(平成13年3月1日「花ある風景」)1回生である牧原さんが二中の先生として赴任したのは昭和8年である。私達17回生は4年生のとき、担任となり、国語を教わった。「源氏物語」の名講義を私達に聞かせたというが覚えていない。熱心に聞いておればもう少し男女の機微がわかったであろうと悔やまれる。渡辺淳一はその著「源氏に愛された女たち」の中で、すべてが古び、消え去る中で、何故源氏物語が生き残り、千年後の、科学文明はなやかな現代に住む人々の心を捉えてはなさいのか。それは次の一言で要約されと書いている。「男と女の思いは今も昔も変らず、永遠に同じ円の上を回って、進歩しないからである」。先生の講義は真面目に聞くものである。
 先生の担任の生徒であった荒木克明君、大友親君が通夜(6月15日・清瀬市全龍寺)に金山好甫君と来ていた。荒木君の思い出話。「怒らない先生であった。あるとき、誰かがバスケットボールをわざと職員室の窓ガラスにぶつけて割ったしまったときにも何にもいわずに『跡かたずけをしておきなさい』といっただけであった」大連育ちの先生は生徒達が可愛くてしょうがなかったようである。大友君の話では4年生の終わり頃、大連芙蓉高女に転任になり17回生を卒業まで面倒見れなかったことを悔やんでおられたという。
 三男大三郎さんの話。「これからは息子とは思わない。社会人として付き合うといって、甘やかさなかった」息子さんの名前を大一郎(故人)大二郎と名づけられた。シベリアに抑留後帰国され郷里広島で長く先生をやられた。校長時代、組合との交渉では筋を通し妥協しなかったと聞く。三次中学校の校歌は先生の作詞である。「自主の 気風」「尊き個性」と先生が好きな言葉が入っている。校歌の額がいまでも校長室に飾られてある。
 先生から頂いた手紙にはこう書かれてあった(平成13年3月9日)。「教育については色々な思いがあるのですが、まず国を思い、国を大事にする心を大事にしてほしいものだと思っています。今の日教組ばりの教師では到底良い子供は育たないでしょう」。これを牧原先生の遺言と聞く。享年94歳であった。

(柳 路夫)

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts。co。jp