2003年(平成15年)6月10日号

No.218

銀座一丁目新聞

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安全地帯(47)

−ニュースとは何か−

−真木 健策−

 新聞記者にとって「ニュースと何か」は永遠の課題である。百人百様の答が返ってくる。記者の感性、問題意識、勉強、性格、読書、体調によって違う。それでも優秀な記者はよいニュースを掴んでくる。それを「センスがよい」というのである。
 毎日新聞の岩見隆夫さんが「近聞達見」(6月7日)で次のようなことを書いていた。5月27日、赤坂プリンスホテルで中曽根康弘元首相の85回目の<誕生日を祝う会>があった。その席上中曽根さんは「政治家は歴史の法廷の被告だとしみじみ感じる。一生懸命でやったつもりで、多少やったと思うけれど、時間がたってみれば、それは遠くから見ると、とんでもないことをやったと言われる場合もうんとある。結局、政治家というものは、一生懸命やるのはやらなくてはいけないが、歴史法廷の被告席に立たされているのだという諦観を持って、一生懸命やるのだ。それが85歳の感想でございます」この話に岩見さんは感心した。当然、新聞が取り上げるかと思っていたところ、翌朝、中曽根スピーチはほとんど記事にならなかった。政治ニュースとは何か、を考えさせられたという。
 私に言わせれば現役記者に「この話はニュースになる」というセンスがなかっただけのことである。朝日新聞の名物記者であり、編集者としても名を馳せた扇谷正造さんは「人間こそ汲めど尽きぬ宝庫」といった。よく「人間くさい紙面を作れ」といわれる。現実の新聞は一向に人間くさくない。今の記者は勉強もしていなければ、本すら読んんでいないものが少なくない。「話題豊富な人間は常にニュースになる」という鉄則を知らないのである。それでも毎日新聞の読者は岩見さんのお蔭で中曽根スピーチを11日遅れて読む事が出来た。ニュースはどこでも落ちている。気付かないだけである。新聞記者は歴史法廷の証人席に立たされているのである。
 「ニュースとは何か」 私に言わせれば、「読者の胸をぐさりと突き刺すものだといいたい。結局は自分がニュースと思ったものがニュースである」と答えるざるをえない。

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