1999年(平成11年)3月1日

No.67

銀座一丁目新聞

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“針の穴から世界をのぞく(13)”

 ユージン・リッジウッド

ミュージカル「チモール・チムール」

[ニューヨーク発]セルビア人によるアルバニア系コソボの弾圧が世界の耳目を集めている間に、イースト・チモール問題が走り出した。「21世紀最初の新生国家」という歴史の新星になる確立が一挙に高まっている。

 イースト・チモール。世界地図を開いてすぐにその位置を言い当てられる人は間違いなく現代史の教養豊かな人である。東南アジアの一角、第二次大戦中の日本軍占領地という事実からすれば、日本人にはかなり身近な地でもある。インドネシアの首都ジャカルタから真東へ千キロ飛ぶと日本人旅行者に人気のバリ島に着く。そこから更に千キロ東へ行くとチモール島が見え始める。長さ約5百キロのチモール島の東(チムール)半分がイースト・チモール(チモール・チムール)である。天国に一番近い所と称されるバリ島より、イースト・チモールは更に天国に近い。なぜならそこには標高3千メートル近い頂きすらあるからだ。

 赤道からわずか南のこのイースト・チモールの独立問題はインドネシアが経済不振に喘ぐ中で一気に現実味を帯びてきた。逼迫した国家財政立て直しの一助としてイースト・チモールの自治もしくは独立を認めて身軽になろうと、ハビビ大統領が再三表明するようになった。

 世界各地の例にもれず、イースト・チモールもまた独立の動きと統治するインドネシア軍による弾圧の歴史を繰り返してきた。1975年それまで統治していたポルトガルが突然イースト・チモールを放棄すると、インドネシア軍が一気に進攻して占拠、76年には併合を宣言して、国際社会に認知されないままインドネシア領にした。この間インドネシアの不当支配に抵抗して、約20万人の住民が命を落とした。支配者の不当な弾圧に対して民衆の心の支えとなり続けたカルロス・ベロ司教と独立運動組織フレテリンの海外活動責任者ホセ・ラモス・ホルタ氏は1996年のノーベル平和賞に選ばれた。

 果たしてイースト・チモールは独立を勝ち取ることが出来るのか。ハビビ大統領は次期国民議会に独立問題を諮り、来年早々にもイースト・チモールから国軍を撤退させたい意向を明らかにしている。しかしインドネシア軍もまた支配者の常として、一部住民に武器を与えて反独立の闘いを支援してきた。それだけにインドネシア軍が一方的に引き揚げてしまうと、支配者とつながることで利権を得てきた反独立派と独立派との間で激しい主導権争いが起き、新たな内戦状況になる危険性も大だと専門家は見る。

 対外活動を続けてきたホルタ氏は、自治体制が整うまでの約3年間は国連の管理下に入り、その上で完全独立を達成するのが妥当と考える。その国連の存在の中核を占めるのは旧宗主国ポルトガルと見られているが、どのような態勢で国連が関与するかの具体的な話しは国連ではまだ行われていない。

 チモールにポルトガル人が初めて入植したのは1520年、大航海時代の熱気の真っ只中だった。その2年後にはスペイン人が登場し、1613年オランダがチモール島の西半分を領有化した。1914年に発効した条約でポルトガルが東半分、オランダが西半分の領有が確定したが、ポルトガルの撤退後、インドネシアが27番目の州として併合したのだった。

 独立の時期が日程に上ったきたこともあって、ホルタ氏は独立時の経済支援を今各国に訴えて回る。1949年12月26日、チモール人の母とポルトガル人の父の間にイースト・チモールの州都ディリに生まれたホルタ氏は75年インドネシアの進攻3日前に脱出して以来、妻と娘をモザンビークに置いて独立支援を求めて世界中を駆け回る。

 現在の人口75万、面積は東京の約6倍、世田谷区の人口が四国を少し小さくした細長い島に住んでいる形である。わずか数万の人口で国連にも加盟している独立国が少なくない中でイースト・チモールは人口、面積共に決して小さくはない。イースト・チモール独立に向けた日本の関心はインドネシアとの友好関係を考慮してか余りにも小さい。しかしかつては日本の占領地であったことを思い起こし、さらにはアジア重視を標榜する日本外交から見ても、日本が独立と独立後の国家安定に向けた支援で大きな役割を果たせるのは明らかだ。青年たちの就職が困難な一方で熟年労働者が早期退職を迫られている時世だとすれば、この人たちのエネルギーと技術にODAを加えてイースト・チモール開発協力平和部隊計画を今から準備してはどうか。

 乾燥した気候、貿易風と標高2、963メートルのタタマイライ山から吹き降ろす涼風、ワニをはじめ、シカ、サル、ヘビなどの豊かな野生動物、そしてココナツの木にもたれて北極星と南十字星を同時に眺めるロマンチックな夜。そのいずれもが毎日無料だ。山好きにも海好きにも冒険家にも魅力は決して少なくない。

 戦闘部隊ならぬ平和部隊による甘美なミュージカル「南太平洋」いや「チモール・チムール」を日本人が生み出すのも夢ではない。

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