2002年(平成14年)11月10日号

No.197

銀座一丁目新聞

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茶説

嘘の上塗りは破滅を招く

牧念人 悠々

 井上ひさし作・木村光一演出・こまつ座の「雨」を見る(10月29日・新宿・紀伊国屋ホール)。この芝居は1996年9月6日にも見ている。情けないことに白装束にまとった徳(辻満長)の自害の場面しか覚えていない。相手役のおたかも三田和代であった。その日付を覚えているのは書棚にあった「the座」 雨 第34号にメモされていたからである。紅屋喜左衛門に化けた徳が証人を次々に殺害、やがて己を死に追いやるどんてん返しが余りにも鮮やかであったので、記憶に残ったのであろう。人間の記憶はあやふやだ。メモの大切さを知る。
 「雨」は今回8演というのに、満員であった。拾い屋の徳の運命を変えたものは、親孝行屋(坂部文昭)に羽前国平畠の紅屋の旦那に間違えられたことにある。花売り(荒井志郎)に「この幸運を、拾い屋のおまえが拾わないって法はないよ」とけしかけられて、その気になる。人間は欲にまどう。
 徳が本物の喜左衛門になる涙ぐましい努力をする。まず方言の勉強である。山形弁はテンポがいいが難しい。つぎに金物を拾う癖を直すこと。金物と見れば直ぐに手が出るからである。
 だが、本物にはなれない。最後にはっきりするが、初めから信用しなかったのはおたかであろう。「えづものよう、えづものよう」と言われてまごついた徳に疑念を持ったはずである。「鈴口の処さ大っきな疣ふたつ」も決定的な証拠であったろう。両国の橋の下の仲間、男娼釜六(田代隆秀)がゆすりに来る。これを五寸釘で殺す。その死体発見で金七(蛍雪次朗)らが十以上の証拠を挙げて喜左衛門の偽者であるのをあばこうとする。それを女だけが知っている証拠があるといってかばう。その嘘は芸者花虫(風間舞子)には通ぜず、撥で花虫ののどを切って殺し、「紅花栽培秘法」を盗む。寒河江の西紅花畠に隠れている喜左衛門を地酒「樽平」に石見銀山をいれて毒殺する。
 どんで返しがくる。徳は白装束を着せられ、自害を迫られる。平畠はニ年続きで破れた堤防工事の負担金を課せられた。負担に耐えぬというので、紅花は不作であったというニセの損耗届を幕府に出した。ニ年前の堤防の普請の際には三千両は平畠のお城で、後の七千両は仲間でこしらえた。ところが工事に使われたのは、ニ千両か三千両かであとは幕府のおえらいさん方の懐中におさまった。いつの時代でも公共工事というのはそういうものであるらしい。ニセ損耗届の詮議のためにきた巡察人があくどい男であった。みかねて喜左衛門がその男を切り捨てた。そこで大目付の裁定で喜左衛門に自害の沙汰があった。徳は江戸の乞食だと主張するが江戸者にしては「平畠弁が上手すぎっこった」といわれる。鈴口の疣も花虫がこの世にいないので、確かめようがない。仲間の釜六もいない。平畠藩の家老浜島庄兵衛(松野健一)が仕掛けた新品の五寸釘も癖を改めた徳は拾わなかった。徳がいくら否定しても誰も信用しない。肝心の本物の喜左衛門も消えている。終わりにおたかがいうセリフが凄い。本物の喜左衛門は生きている。実は番頭の金七が徳の後をつけ、喜左衛門のノドに手を突っ込んで吐かせて命を取りとめた。喜左衛門は弟の助左衛門になり、おたかの亭主になるというのである。「徳様、もう遅ェがも知らねども、ひとつあんだの気ば楽にさせであげっぺな」。女は先の先まで見通している。我慢すべきところは我慢し、しらをきるところはしらをきる。最後には生き残り、実をとる。げに女は恐るべし。いや「女はポエムなり」といいかえるべきかもしれない。

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