2002年(平成14年)9月20日号

No.192

銀座一丁目新聞

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ある教師の独り言(1)

−趣味にも人柄が出る−

−水野 ひかり−

 毎日楽しい事ばかりでありたいと思いながら生きている私である。興味あるものに出会うと、それにとりつかれたとうにそれ中心に行動してしまう。とことん納得するまでそれにかかわり夢中になってしまう。もう良い年なのに徹夜までして本を読んだり絵を描いたりしてしまうのだ。そんな私はいつも足が地についていない。心のどこかに後ろめたさを感じながら過ごしている。人並みに一定の時がきたら結し、子供を産み、家族を形成して人生を歩んでいく。それこそが真っ当な生き方であると告げる声に囲まれて、一応は反論してみるものの時に気弱になってそう感じてしまう。けれどその思いをあっというまに打ち消して体中を幸福感で一杯に満たしてくるものがある。それは私が今まで関わってきた子供たちである。
 教師となって二十年以上の歳月が過ぎた。採用試験に合格し本格的に学年を持たされて一ヶ月たったころ、毎日のように呟いていたこと・・・私は何で教師になったたんだろうー、−教師なんてやめたいーである。
 新任の女性教師は辛いものがある。保護者からは「半人前をうちの子供は押し付けれてしまった」と言われる。中には保護者会の帰りにあからさまに「一年間は我慢するから持ち上がりは間違ってもしないで欲しい」と堂々とという保護者もいた。男性の新任は保護者も喜んでくれる事が多いが、保護者会の参加率の高い母親の目はどうしても女性教師に厳しくなる。子供たちも「男の先生が良かった」と言う。男だろうが女だろうが人はいろいろで千差万別であるから一概に言えないが、子どもたちのイメージは男の先生=優しい・楽しい・面白いである。新任で右も左もわからない私は山のようなハンデを背負わされた思いで毎日を過ごしていた。
 本当に何で教師になったのだろう。子どもを特に好きだったわけではない。最近の新任の先生の中には「子どもたちのすさんだ心を癒せる手立てとして、自分の学んだきた〇〇をやっていきたい」とか「学生のころから教育に凄い関心があって児童心理の研修会にはたくさん参加してきた」とか言う人がいる。真面目に教育について考え、自分の仕事として選んできた人たちである。私は学生時代、殆ど真剣にやらなかった。好きな事だけやってきた。ただ映画のなかで大石先生が子どもたちに囲まれて泣いたり笑ったりしているのが良いなと思っただけであった。そんな情景のなかに自分がいたら素適だろうなといった甘い考えに弾みがついただけのような気がする。

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