2002年(平成14年)4月10日号

No.176

銀座一丁目新聞

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お耳を拝借(45)

-身辺整理

芹澤 かずこ

 

 少しずつ身辺整理を始めた人がいる、と同年代の友人が話していた。いつの間にか溜まってしまった写真やそのほか細々としたもの、自分にとっては思い出のあるものでも、残されては迷惑するものもあるし、人に処分されたくないものもあるからだと言う。
 しまう場所があるために、要らないものまで取ってある場合も少なくない。それは判っていても、いつも後回しになっている。思い切りが必要なのは、両親が他界して実家の整理をした時や、子供のいない叔母の家を片付けた時にも身にしみている。
 一生分とは言え、その余りの荷物の多さに時間も労力もいって、いっそのこと貰い火かなにかで焼けてしまったら、どんなに楽だろうなどと、不謹慎なことを考えた。何点かは形見分けにしたりするが、あとの物は必要ないというより、既に一家を構えていればみな揃っているものばかりである。貰ってくれる人があれば持っていってもらうが、それさえほんの僅か。あとは例え勿体無くても安値で古物商に売るか、売れないものは粗大ゴミと化す。
 昔のように2世代3世代が同居していれば、代々その品を受け継いで行くから、今のように処分する品もずっと少なかったのではないだろうか、などと考えても今更どうしょうもない。
 今の家をそのまま受け継いでくれる人があれば処分の必要はないが、それとてその人たちがそれまでに住んでいたり、使っていたものが不要になるから、これはもう後の人が順送りで処分するより仕方ないであろう。
 それなら取り敢えず、細かいものから手をつけようとするが、久しぶりに開けるアルバムや小箱には忘れていた懐かしい写真や、子供の通知表、孫の手形のついたハガキなどが入っていて、すっかり見とれて何の整理もつかぬまま、また蓋(ふた)をする結果となる。これではラチが飽かないとたびたび挑戦するが結果はいつも同じ。小物ばかりでなく、本やカバンや洋服もまた然り。
 けれども、先日、妹の引越しを手伝って、やはりその持ち物の多さに驚いた。「これでも随分と処分したのよ」と本人は言っていたが、第三者から見るとまだまだ処分の余地はありそうであった。人の振り見て・・・ではないけれど、やはりここらで意を決して整理に心がけねばとつくづく考えさせられた。



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