2002年(平成14年)3月20日号

No.174

銀座一丁目新聞

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花ある風景(88)

 並木 徹

 井上ひさし作、栗山民也演出、「こまつ座」の「国語元年」を見た(3月7日−3月24日、・新宿、紀伊国屋ホール)。
 出てくる方言は、長州弁、鹿児島弁、江戸山の手言葉、江戸下町方言、大阪河内弁、南部遠野弁、名古屋弁、羽州米沢弁、京言葉、会津弁の十の言葉である。
 鹿児島弁は全く理解できなかった。
 筆者は大阪生まれだが、7歳の時、満州へいったから関西弁をしゃべれない。それでも「眠たい」という関西言葉は残っている。関東では「眠い」という。専門家の話によれば、方言が残るか残らない限界は12歳だそうだ。例えば、東北生まれの人でも12歳より前にその土地を出れば、方言は消えるというのである。
 ともかく「国語元年」は、井上ひさしさんのひらめきによって生まれた。「明治の初期に国語の制定を命じられた文部官僚がいるとしたら、その官僚はさぞや苦労をしたであろう」と井上さんは思ったそうである。すばらしいひらめきである。それを面白く芝居に仕立てるのだから頭が下がる。この日もまた、観客は十の方言が織りなす悲喜こもごもの所作事と小学校唱歌、賛美歌の歌声にききほれながら、うなずき、笑い、驚き、感じ入り、十分に堪能した。
 舞台の「とき」は明治7年(1874)の夏から秋にかけて・・・である。文部省ができたのは明治4年9月。小学校の学制は明治5年7月にはじまる。小学校を二つに分け、6歳から9歳までの4年制の下等小学と10歳から13歳までの上等小学とした。期間は8年である。その後、小学校6年高等科2年となった。教科書はまだ十分でなかった。今に残っている小学校読本巻一(明治7年8月)は外国のリーダーの翻訳である。しかも文語体である。読んだ本として、日本外史、易知録、万国公法太政諸規則、日本政記、五経、孟子、小学などがある。小学校でかなり難しい本を読んでいる。このようにして、標準語教育が進められていった。
 栗山民也さんは演出とは何か、と聞かれたら、「何を見て、何を聞くのか」と答える。この作業の中心が演出だそうだ。この芝居を見ての感想をきかれたら「言葉ヅモノワ、人が生ぎでエグ時ニ無くてはなぬ宝物ダベエ」(若林虎三郎のセリフ)と私は答える。

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