2002年(平成14年)2月1日号

No.169

銀座一丁目新聞

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花ある風景(83)

 並木 徹

 東日本釣宿連合会の30周年記念総会が東京・恵比寿・ウエスティンホテル東京で開かれた(1月23日)。もちろん、会員(100人)は全員、船を持ち釣宿を経営する人たちである。だが、会長はスポニチの編集局長の神戸陽三さんで、副会長の一人に文化社会部長の元尾哲也さんが納まっている珍しい団体である。
 会場でいただいた『30年の歩み』をみてそのナゾがとけた。第一回の総会を昭和48年1月に開いている。初代会長はスポニチのレジャー部長を勤めたことのある寺田静嗣さん(昭和61年定年退職)である。寺田さんの話によると、当時は釣りブームであった。新聞の釣り欄の目玉ともいえる釣果がまちまちで読者からの抗議の電話や投書が殺到した。釣り情報という重要なニュースが正確さを欠いては紙面全体の信用まで失ないかねない。そこで日本一の信頼される釣り情報の発信源を作ろうと釣宿連合会の設立を思い立ったという。このアイデアはすばらしい。組織を作って情報を集めようというのだからすごい。スポニチにはこのように『井戸を掘った』記者が少なくない。レジャー部長を終えたあとも設立のために努力した。このような事情からスポニチの歴代編集局長が会長をつめることになった。
 二代会長は石井経夫さん(のちに専務取締役となる)である。この日祝賀パーティーにも姿を見せた。歌人でもある石井さんは私に二首の歌を示した。

 たわわなる竿は弾けて天を指すばらす目仁奈の重き残しつ

 魚とは関はりの無きファッションにこだわる釣師波止に並べり 

 同じテーブルに居合わせた副会長の小菅照雄さんが『30年の歩み』にのっていない話をしてくれた。昭和61年11月21日、伊豆大島の三原山が209年ぶりに噴火し、住民約1万人が伊豆、熱海、東京へ避難する大騒ぎとなった。この時、毎日新聞のヘリが大島で事故を起こし、取材がままならなくなった。そこで、小菅さんの丸十丸(13トン)、第一正丸(同)に毎日新聞とスポニチの記者、カメラマンなど100名ぐらいを乗せて小網代から大島まで急行した。さながら戦場に赴くようなあわただしさであった。かなり定員をオーバーしていたが、早く現場へ着かなければと気ばかりがあせっていて、大噴火の怖さは全く感じなかったそうだ。
こればかりではない。スポニチは毎年、連合会に増紙運動をお願いし、部数を増やして頂いている。
 この連合会の熱意にこたえるかのように、平成3年4月の入社以来、11年間他部への異動を拒否し、釣り専門の女性記者がいる。入社前は音楽鑑賞とスキーが趣味であった。文化社会部に配置され、釣り担当となるや、たちまち釣りにはまってしまった。今では東日本釣宿連合会の広告塔を自称するほどである。実に明るく、優しい女性記者である。名を久世明子という。
 文化社会部のキャップ笠原然朗が言うように『一人でも多くの人に釣りの楽しさを広めるていくこと』がスポニチの恩返しであろう。

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