2001年(平成13年)9月20日号

No.156

銀座一丁目新聞

ホーム
茶説
追悼録
花ある風景
横浜便り
水戸育児便り
お耳を拝借
銀座俳句道場
告知板
バックナンバー

茶説

天下国家を論ずるより足下を固めよ

牧念人 悠々

 外務省のホテル裏金事件は同省の多くの課がかかわっており、大量の処分者をだすという。しかも、相当の年数、各局の各課が不正と知りながら裏金づくりをしていたらしい。あきれて物も言えない。お役人たちは、この金が税金であることを全く忘れている。納税者はもっと怒っていい。
 競馬の馬を買い、外車を乗り回しても、おかしいと思わない組織の雰囲気は怖いと思う。田中真紀子外相が省内の改革にのりだしたのに、外務省あげて反対した理由がよくわかった。
 課長は自分の課の仕事のやり方、金の出入り、部下の仕事の進め方を仔細に点検すれば、やり方の拙い点、無駄なところ、おかしな個所、不正などはすぐわかるはずである。課長職は腰掛けだから無難にこなせばいい、何かを指摘して部下の反感を買うのは得策ではないと考えているキャリアーが多いのではないか。そうだとすれば、なんとも情けない。
 課長補佐がその課の実力者である事はやむをえない面もある。それを使いこなし、正すべきは正して業績を上げるのが課長の勤めである。それを課長補佐のなすままというのでは無責任というほかない。
 つい最近、こんなエッセイをよんだ。高瀬七郎さん(陸士48期・騎兵)の話である。陸士本科での夜行軍のさい、騎兵術科担当教官、立古睦吉少佐(27期)から三つの質問を受けた。「米をなぜ五穀と言うのか、五穀とは何と何か」「お前の村の鎮守様の名前と守護神はどなたをお祭りしてあるか」「蓮根は真直下に伸びるものか、横にのびるもか。また蓮根の穴はいくつあるか」
 高瀬さんは正確な返答はできなかった。それよりも、なぜ教官が演習中にこんな質問をされるのだろう。こんなことが士官候補生に必要なのだろうか、という疑念が起きた。立古教官は諭した。「小さなつまらぬ事のようだが、非常に大切な事と思う。こんなささいな、しかも毎日自分の身近にあるものの実体すら知らぬ者が天下国家を論じている。自分の足下もわからず、姿や形や言葉だけで一人前になったつもりの人間が非常に多い。常に自分の身近なもの、自分自身の地位、身分、任務というものをしっかり把握し、自分の言動に自信と責任を持つ人間になれ、ということだ。足下を常にかためよ」
 この話は昭和10年前後の事だが、きわめて教訓的であり、示唆に富む。
 いまでも立派に通用する。キャリアーの外交官は大きな間違いをしている。小さい事、つまらない事をなおざりにして、あるいは部下まかせにして、天下国家を論じているのであろう。不祥事が相次ぐ外務省をみると、一人の立古少将もいないように見える。日本外交の前途はまことに危ないと言わざるを得ない。

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp