2001年(平成13年)9月10日号

No.155

銀座一丁目新聞

ホーム
茶説
追悼録
花ある風景
横浜便り
水戸育児便り
お耳を拝借
銀座俳句道場
告知板
バックナンバー

茶説

過去の失敗を記憶せよ

牧念人 悠々

 井上ひさし作、栗山民也演出「闇に咲く花」を東京・新宿紀野国屋ホールでみた(10月23日まで各地で上演する)。観るのは二度目だが、また新たな感慨を持った。これまで気がつかなかったことがわかる。
 井上さんがこのお芝居で主張したいのは「過去の失敗を記憶していない人間の未来は暗い。なぜなら同じ失敗をまたくりかえすからである」という教訓である。歴史を忘却する国は滅びると言う言葉もある。
 舞台は千代田区猿樂町、愛敬稲荷神社。ここの神主、牛木公麿(名古屋章)を中心として物語は展開する。今回も芸達者な俳優たちの所作事に、笑い、泣き、あっというまに時間がすぎてしまう。
 プログラムを見ると、協力、神社本庁、靖国神社とある。とすると、必ずしも神社に批判的なお芝居ではないということであろう。五幕目に主人公、牛木健太郎(千葉哲也)のこんな科白が出てくる。「神社は道ばたの名もない小さな花なんだ」「花と向かい合っていると、心がなごんで、たのしくなる、これからの神社はそういう花にならなくちゃね。花は心を落ちつかせる色をしているよ」
そういえば、第一幕に子守りの少女(四本あや)の「神社の境内にはふしぎな力がこもっていて赤ちゃんの気を静めてくださる」というセリフもある。
 戦争中、愛敬稲荷神社はどんな役割をはたしたのか。
 遠藤繁子(増子倭文江)「思い出しましたよ。こんな人のいい神主さんが、私の主人を戦場に送り出すときは鬼のような顔で『骨は拾ってやる、安心して征きなさい』と言っていました」(牛木神主は戦争未亡人を、お面つくりの工場で働かせ、ヤミ米買いをさせ、生計をたてさせている)
 田中藤子(梅沢昌代)「あたしの亭主のときは、こうだった。『この次は九段でお会いしましょうな』。いま考えてみると、あれは『生きて帰ってくるな』という脅迫だったね。」
 中村勢子(日下由美)「うちの主人のときは、『イヌ、ネコ、バッタ、コオロギに至るまで戦の役に立たねばならぬ時代でありますから中村洋一くんが戦地に赴かれることになりましたのは当然で』というコトバをくださった」
 久松加代(那須佐代子)「うちのときは、『神となってお帰りください』だった」
 小山民子(島田桃子)「うちは『よろこんで死んできてください』だった。」
 愛敬稲荷神社の境内は、空襲で焼死した人たちの死体置き場となり、火葬場ともなった。健太郎がとどめをさす。 「神社が、神道が、出征兵士を境内から『お国ののために喜んで死んでください』と死の世界に送り出したとき、神社は神社でなくなったんだ。境内が焼死体置き場や火葬場になったとき、神社も神道も滅んだんだ」
 それなのに、戦い終わって、神社は平和の太鼓を打ち鳴らすと言う。民主主義の先頭にたって、ドンドンドコとたたくのである。過去の失敗を全く忘れている。忘れている振りをしているのかもしれない。このことは決して神社だけではないように思う。
 栗山さんはいう。「この『闇に咲く花』は記憶をテーマにした井上さんの豪送球です。この舞台から見えてくるもの、聞こえてくるものがたくさんあります」

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp