2001年(平成13年)5月20日号

No.144

銀座一丁目新聞

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追悼録(59)

 共著で出版した「犯罪捜査法」(昭和37年9月・櫻桃社刊)が6000円(定価360円)の値段になっているのを、つい最近知った。20冊ほど自分のてもとに置いておいたのに、今はたった1冊しかない。
警視庁の記者クラブにいた時、相棒の山崎 宗次君と事件の合間を縫って執筆したもの。読み返して見ると、考えさせられるところも有り、興味深いところもある。つくずく事件はその時代の世相を反映していると思う。
 事件取材は苦労が多く、つらいが、自分たちで推理してその展開を読んで取材し、解決したときはなんともいえない満足感がある。
昨今の記者は、生活が不規則、つらい、勉強が出来ないなどの理由で「事件記者」を毛嫌いすると聞く。サラリーマン記者が多くなったということであろう。情けない話である。
 事件をこなせる記者はどんな仕事でも使える。それは「物から物を聞く」ことができるようになるからである。「現場百回」という。何度も現場に足を運び、犯行現場の物を良く観察し、合理的に推理し、そこから容疑者へ結びつく物を探しあてる。おのずと、観察力、推理、合理的な考え方が身につくようになる。
 山崎君にふれる。昭和32年4月、毎日新聞入社時から人目をひいた。面接試験の際、「どこの部を志望するか」ときかれ「兄 栄一(現大学教授)が政治部でお世話になっておりますので、私は地方部を希望します。内と外で兄弟そろって毎日新聞を支えてゆきたい」と答えた。この機転のきいたユーモアあふれる応接に面接委員たちは爆笑した。多くの受験生が外信、政治、学芸、社会の各部を志望するのが普通である。地方部へ行くものはまずいないからである。
 入社早々、得ダネをものにした。巣鴨で起きたフトン包み事件で容疑者と被害者を独力で割り出した。死体を包んだフトンを販売したのが大学の後輩であった。この後輩の情報から売り先を一軒一軒調べてつきとめたのだった。
 この本には取材原則がいっぱい書かれている「畜生に気をつけよ」「リュウを追え」「裏づけのない任意出頭は書くな」「本部発表をうのみにするな」etc.・・・
 「本部発表をうのみにするな」の原則が守られていたなら、松本サリン事件の河野義行さんの悲劇はおきなかったであろう。また「物から物を聞け」の原則から言えば、押収された薬品でサリンは生成されない。記者にその化学知識がなければ、専門家にきけばわかることだ。この原則も生かされていない。もちろん「第一発見者(届出人)を疑え」という原則もあるが、事件は総合判断である事を忘れてはなるまい。
 山崎君はあとがきに書く。
 「事件の状況に応じ変化に対して打つ定石というものは商売人が商機をつかむコツやセールスマンが顧客をつかむコツなどに似ているような気がする」
山崎君はその後、畑違いの広告へ転進したが、その才能を十分生かして、ユニークな広告企画、事業を次々に生み出し大活躍した。さらに、これからという働き盛りのところで、昭和62年7月、52歳でこの世を去った。

(柳 路夫)

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