2001年(平成13年)3月10日号

No.137

銀座一丁目新聞

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横浜便り(17)

分須 朗子


 この辺りには、東海道の名残か、坂道が多い。鎌倉へ向かう切り通し「石難坂」の合間にうかがえる井戸の姿、将軍様が休息時の御膳水に使用したと言われているが、実に小さい。また、東海道を上り下りする人々の難所とされていた「権太坂」にのぞく民話・・・その昔、坂の途中で旅人が休んでいると、一人の老人が通りがかった。旅人が老人に坂の名前をたずねると、老人は耳が遠かったらしく、「権太じゃが」と自分の名前を答えたんじゃ。それから、この坂を権太坂と呼ぶようになったそうな。この言い伝え、笑えばいいのか真顔でうなずけばいいのか実におぼろげ。だが、横浜の随所に、丘陵地や田園だった頃の、消え入りそうな面影が色香を落としている。
 私が住む丘は、最寄り駅までの行き帰りがそれはそれは難儀。その日も坂道をひぃひぃ上り、丘の頂上にたどり着くと、近隣に住む子供たちが放課後の空き地で遊んでいた。西陽のオレンジに照らされながら、4、5人でワイワイ“缶ケリ”に興じている。幼少の時分、私が苦手とした遊びの一つだ。缶を守れと言われれば、缶をじっと凝視し、一歩もその場を離れたくない。ちょっとした隙に、すぐさま缶を蹴られる鈍くささを自分で知ってる。缶を蹴飛ばされて呆っとして、やっとこさ缶を探しに出かけても、その道すがら呑気に道草してる。基地では、鬼のいない“鬼遊び”になっていて、そういえば、私が戻ると、新しい鬼がすでに登場していたこともあったような。
 空き地を走り回る少年少女たちを眺めながら、ふと思った。男女の日々は“鬼遊び”みたいだ。一人じゃ遊べないし、駆け引きなしじゃ面白くないだろうし。しかし、鬼ごっこも隠れんぼも、得意な人にとっては愉快な遊びなのだろうが、不得手な者にとっては厄介だ。できることなら、缶は思いっきり遠くへ飛ばさないでほしい。探しに行くのがタイヘンだし、缶を見つけて戻って来るまでにたいそうな時間がかかりそうだし。戻ってみたら“新しい鬼さん”が登場してたりして・・・。(急げ急げ)。でも慌てると、すぐ足がもつれるんだよ・・・。ところで、缶ケリして盛り上がってる丘の上の子供たちは、近い将来、恋愛の名手となるのだろうか。無邪気すぎて、IT派に負けそうだなぁ。それにしても、缶ケリ得意っていうの、だいぶ憧れる。



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