2001年(平成13年)1月20日号

No.132

銀座一丁目新聞

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追悼録(47)

 画家、谷内 六郎さんがなくなって二十年になる(1981年1月23日、死去、59歳)。その作品は死後なお「週刊新潮」の表紙を飾り、1997年4月3日号から成瀬 政博さんに表紙担当が替わるまでつづいた。他の週刊誌が幾度となく表紙をかえているのに、創刊(1956年2月6日)以来41年間も続けたのは、立派であった。
 週刊誌の表紙は、小説、グラビア、特集とともに、売るための目玉商品の一つである。発案者は創刊からアドバイザーとして参画した小谷 正一さんである。この人はアイデアマンとして知られている。はじめに山下清さんをあげたが、居所がはっきりせず、つかめにくいであろうということで、その延長線上の発想で谷内さんに決まったといわれている。それが見事成功した。
 谷内さんの絵について、横尾忠則さんが適切な感想をのべている。
 「子供のころにかえりたい時、また失ったものを取り戻したい時、そして本当の自分を知りたい時、そんな時、谷内六郎さんの絵があることをぼくは最高に幸せだと思います」(谷内六郎・絵と文 横尾忠則・編「谷内六郎の絵本歳時記」新潮文庫より)。
 その本で谷内さんは書く。
 −またお正月がきた、人は歳をとって行くけど海の陽は歳をとらない、いつも真っ赤に躍動しています、太陽にくらべたら人の一生なんて一瞬にしか過ぎない、あの岬の町で駄菓子を売っていたおじいさんも今は海の見える小高い丘で眠っている。略−
 挿絵は、大魚と染め抜かれたハッピを羽織った少女と少年が岩の上に楽しげにたっている。その二人が海からのぼる真っ赤な初日の出をみている図柄である。谷内さんの絵をみていると、何かしらほっとする。すがすがしさも感ずる。ロマン、郷愁、幼い日の思い出、と言った言葉が浮かんでくる。
 筆者は「サンデー毎日」のデスクを一年半した。僅かであったが、週刊誌のニュースの切り口は勉強になった。一ひねりどころか、ふたひねりもみひねりもして、面白く、わかりやすく記事をつくっている。また、書く視点もすばらしい。時には、独自取材による特種もすくなくない。今でも、新聞が見習うべき点が多い。
 スポニチの社長時代「サンデー毎日」への記者研修制度の話が出た時、即座に応じ、記者を一人出した。 この制度も二人の記者を派遣して終わってしまった。「経営は人なり」とよく言われるが、実行は難しい。総論賛成、各論反対の体質はどこの世界でもおなじようなものである。
 その週刊誌はいま冬の時代を迎えている。時代のあまりにも早い流れについてゆけないからであろうか。我慢し、耐えるほかあるまい。一つの文化としてこれからも必要と思うからである。

(柳 路夫)

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