2001年(平成13年)1月10日号

No.131

銀座一丁目新聞

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追悼録(46)

 元旦は靖国神社へ初詣した。小雨もやんで、路面をぬらすほどで、寒気をやわらげていた。午前零時5分前についたが、驚いたことに、すでに拝殿から大鳥居まで長い行列ができ混雑していた。拝むのに30分余かかった。ここでは、拝むのではなくて、あいに来るという。歌の文句にも「逢いにきたぞ のう倅」(靖国の母)、「倅きたぞや 会いに来た」(九段の母)とある。
 賽銭箱に投げ込まれた歌にもある。
 「いくさ果て変わりても忘れ得ぬ君のみたまに遇うぞうれしき」
 午前零時。大太鼓がうちならされた。まわりの若者たちが一斉に歓声をあげた。太鼓は三連打七鼓の21発ならされるという話だが、あとの太鼓は参拝客の声に消されて聞こえなかった。行列のそばにはかがり火(庭燎という)が赤々とともされている。その周りには交通整理と火の番のボーイスカウトの少年たちが真面目な顔でたっている。
 若者たちの姿が目立つ。戦後55年、御霊の親たちもこの世をさり、息子、娘、さらに孫の時代になった。半ば抱き合って談笑するカップルも見受けられる。「遇う」よりも「拝む」へ様変わりしたといえるかもしれない。
 もちろん、私は戦死した先輩たちに会いにきた。「あなた方の分、国のため、社会のために尽くします」と例年のように、殊勝に誓った。さらに商売繁盛、家内安全もあわせてお祈りした。昨年までは10日前後に参拝した。今年は新宿・武蔵野館での「ニュース映画特別上映会」をみて、その足でかけつけた。
 参拝後、くじを引いた。「吉」と出て「心正しくすれば、世に出、幸せを得る」とあった。なお、正月三が日の初詣者は全国で8875万人という。

(柳 路夫)

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