2000年(平成12年)6月20日号

No.111

銀座一丁目新聞

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花ある風景(26)

並木 徹

 

 牧 太郎著「ここだけの話』(毎日新聞刊定価1100円+税)を読んでいたらこんな記述にぶつかった。

 ―僕は若いころ、中曽根さん(康弘.元首相)の悪口ばかり書いていた。いまでも書いている。ここだけの話だが、「新聞記者は相手の急所をグッと握るようでなければならない」と中曽根さんから「股間」を力いっぱい握られたことがある。「君は的はずれの論評をしている」と激怒したのだろう―81歳になった中曽根さん(誕生日は大正7年5月27日)が「道を行く 若葉の照りに 恥らいて」の一句を誕生日のパーティーで紹介したとも記している。

ここだけの話だが、私は余り中曽根さんが好きではなかった。佐藤政権のあと(昭和47年7月)田中か福田でもめた時、中曽根さんが田中 角栄からいくばくかの政治資金をいただいて中曽根派が田中に票を投じたと聞いたからである。それから30年近くになる。今は別に悪感情は持っていない。

 中曽根さんの句 「俗論は 潮騒のごと 雲の峰」が妙に頭に残っている。

 中曽根さんが総理になって(昭和57年11月から昭和62年6月まで)リーダーシップを発揮した。土光 敏夫さんを臨調の会長にすえ、行革を推進、国鉄の分割、民営化などを実現した。この功績は大きい。昭和60年9月には戦後の首相としては、はじめて靖国神社に公式参拝した。一国の首相が国のために命を捧げた軍人を祭る神社に頭をさげるのは当然ではないか。

 防衛庁長官(昭和45年1月から46年7月まで)の時、北海道千歳第七師団を巡視した際、若い自衛隊員と車座になって茶碗酒を飲み交わし雑談したというエピソードもある。

 リーダーシップを求められている政治家のなかにあっていまなお中曽根さんが期待されるのは理由なしとはしない。

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