2000年(平成12年)1月20日号

No.96

銀座一丁目新聞

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花ある風景(11)

並木 徹

 さる日、東京・銀座に事務所を構える並木書店のオーナー奈須田敬さんを友人と表敬訪問した。毎月、小雑誌「ざっくばらん」を20数年発行している。その道で知られた論客である。

 「ざっくばらん](昨年10月号)に元海上幕僚長、海将、内田一臣さんが一佐の時、(昭和37年4月)米海軍大学へ留学した折りの話しが紹介されていた。

 ワシントンに滞在中、ポトマック対岸のアーリントン墓地の近くにある硫黄島記念碑を訪れた。海兵隊員たちが激戦の末,摺鉢山頂上に星条旗を立てた銅像があった。内田さんはゲッソリした頬の肉を落とした海兵隊兵士たちの顔にはっとして、急に涙が流れてきた。「そうか、お前たちも苦しかったのか、そうだったのか」と思った。

 海兵63期の内田さんは第2次大戦に参加、米軍と戦った。同期生127人のうち70人が戦死している。海兵時代鍛えられた一号生徒の61期も2号生徒の62期もその同期生をそれぞれ半数以上をなくしている。少佐で敗戦を迎えている内田さんの内心は反米的で、デモクラシの偽善ぶりを見てやろうと思っていたのだが、これを機に、米国観はがらりとかわってしまったという。

 よく戦う者同士、よく相手を知り、友情を抱く。アメリカ関係者から温かく遇され、日本はよく戦ったと誉められもした。米海軍関係者の日本海軍に対する尊敬は格別であったそうだ。

 ちなみに、硫黄島での米軍の死傷者は2万5千736名。日本軍は2万2千名が玉砕した。この大戦で米軍の損害が日本軍のそれを上回った唯一の例だといわれている。

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